2011年02月

盲腸(後編)


オペ室の中はTVドラマで見てきたとおりの世界、そしてスタッフ。
唯一違うのは、切り刻まれるのがこの自分の体である、ということ。
(実際は腹腔鏡というカメラを使った手術で開腹はしなかった)

まず麻酔科の先生(めちゃかわいい)が、点滴から麻酔(全身)を投与。
それから15秒もしないうちに眠りにつく


---


目が覚めた時には、病室のベッドの上。。。。ではなく、まだオペ室!

喉元から何か(腹腔鏡)取り出されようとしているところで
運悪く(?)麻酔が切れてしまったらしく、ゴホゴホと激しくせき込む。

ちょうどそこで作業完了だったらしく、すぐさま病室へ。

終わった、、という感傷に浸る暇などは全くなく、強烈な尿意を感じる。

トイレに行きたいと問うと、「管がつながっているので大丈夫です」とのこと。

オオーw(*゚o゚*)w

痛いので即刻外してほしいと問うと、

「明日の朝まで絶対安静が必要なので外せません。
また、今日はベッドから起きることもできません。」

ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!

とのことで、局部はそんなことになり、両足にもそれぞれ変なマシンを巻きつけられ、
腹もパンパンで寝がえりも取れずな、もういっそ殺して的状態で一晩を明かすことに。。

ここが今回の一連の盲腸イベントで一番辛かったポイントとなる。。


例の「管」は何時間たっても強烈な違和感をもたらす。
排尿は管を介して絶えず行われてはいるが、残尿感たるや甚だしく、
再度看護士さんに外してほしいと懇願するも、もちろんダメよ、明日の朝、先生の許可が下りてからね、とのこと。

そうなのだ治療行為に関して医師と看護師とでは決定的な権限の違いがあるのである。

我慢しつつも寝ようと覚悟を決めると、隣のおじいさんからけたたましい音量のイビキ。。

これはたまらん。。。

と思い、我儘とは思いつつも「我慢してもしてもしなくても払う治療費は同じだ!」
と心の中で叫び、なんとかならんのかと、夜中に2度にわたり看護士に依頼。

そして、隣のおじいさんはベッドごと、どこかの部屋に運ばれていきました。。

・・ちょっと申し訳ないけど、許してね。(翌朝ちゃんと帰ってきました)


(金曜)

手術から一夜明け、あとは回復する一方だろう、という認識が甘かった。

盲腸を摘出しても、パンパンに膨らんだ腹は一向に収縮せず、高熱も続く。

口約通り、朝に管を外してもらい(これがまた想像を絶する痛さ!)、足の機械を外してもらっても、腹の痛みでなかなか起き上がれない。

結局、この日は歩くことはほとんどできず、点滴と水のみを摂取して終了。

夕方。初お見舞い人①登場。職場の先輩ですが。
いろいろと部屋からリクエストの品を探し出して、届けてもらい感謝。

お土産としたもらったSPA(なぜ?)の「少女時代の見分け方」のショウもなさに病室で声を殺して笑う。


(土曜)
少しづつ腹の痛みは治まり、少しだけガスが出だしたものの、腹の張り具合はあまり変わらず。

点滴がようやく外れ、昼食に入院後初の食事となる、重湯をゲット!
しかし、勇んで食べるもあまりのまずさに言葉を失う。

夕方、お見舞い人②登場。たくさん心づくしのアイテムを揃えてもらい感謝。

お見舞い後、自身でも驚くほど元気が出たことに驚く。対話って重要~~


(日曜)
さすがに回復。腹の張りもようやく治まってきて、まだ痛みはあるものの歩けるようになる。

朝の主治医の回診の際に「いつ退院できるのでしょう?」と問うたとことろ、
いつでもいいですよ、とのまさかの返答を受け、明くる月曜朝の退院を決定。

昼食時にお見舞い人③登場。こちらも申し訳ないほどお土産をたくさん下さって、
周囲の人のありがたさに気づく。

(月曜)
無事退院、ということで、

請求書が提示される。

目を疑うほどの額(もちろん二桁です)に対し、「これは自己負担額ですか?」
と確認してしまうほど。

みなさん、くれぐれも生命保険には加入しましょうね。



ということで長々と書いてしまいましたが、入院中の眠れない夜に漫然と考えていたのは、

たかが盲腸とはいえ、「治療をせずに黙っていたら死んでいたんだな」という自分の命の儚さ。

事故とか物理的な衝撃に耐えかねて命を落とすことは想像できても、

今回のように自己治癒能力だけでは絶対に完治できない内発的な病気は初めてだったので、

初めて「命が助かった」という実感を持つことができますた。


そして、人生は有限であることは生来知りつつも、
「先は思っていたより限られている」という事実を、以前より格段に現実感を持って
強く意識するようになりました。その前に両親の限界が必ず訪れることも。

そうであれば、自身の人生において「これは為したい」ということをリストにして、
それらを叶えるために必要なリードタイムから逆算して、
「勝負するのはどの時期か」(ここ5年が特に重要という結論を導き出した)、
そのために絶対必要となるアクションは何かを定める。
その上で、できるだけ細分化したフェーズごとの具体的な目標を定める。

という明確なライフプランの構築が急務であると、
職場のキャリア研修の講義で習ったことを思い出しながら考えたり。

最近、酒、旅、走で時間を消費するという怠惰を貪っていたけれども、
プライベート(ライフプラン)についても常に明確な目標を設定して、、
アクションにつなげることを意識しなければ、仕事と同じで前進しないもんね。


ということで、こんな長文を書くことは当分無いと思いますが、盲腸(虫垂炎)は
年齢制限は無く、誰にも起こりうる病なので、何かの参考になれば幸い。

まだ完全ではないけど、治ってよかったー!!生きててよかった!!!

大げさだけどこれが言いたかったのです。

(了)

盲腸(中編)



任侠ドラマのように苦痛に歪んだ表情で腹を抱えたまま病院の窓口に駆け込むと、
先に受付をしてくれた一般市民の方が順を譲ってくれたり、座った方がいいですよ、と促してくれる始末。

受付を済ませるとともに、上司に連絡。おそらく今日も出勤は叶わないと伝える。申し訳なさすぎるる。。

で、異常なほど痛がってる自分にさすがに驚いた病院の方たちが、車いすで誘導してくださる。

ディズニーランドのファストトラックもびっくりなほど急ピッチで進む検査。
血液、レントゲン、CT、呼吸器、、と次々段取り良く終わっていく。
初診の患者なのに、大したもんだなーと、この丘の上の病院の対応の良さに感心。

この頃には、右下腹部の痛みと、高熱(すでに38.5℃)から、
看護士さんにも「盲腸だろう」と予想される。

も、盲腸ですとー!!!!
盲腸→手術→入院=仕事できないじゃん!!それは困るなり~と思いつつも、
いよいよ重鎮的な外科医の先生の診断へ。

「虫垂炎(盲腸)ですね」と一言。

絵心ある手書きの図を用いて、丁寧に説明していただきました。
痛かったけど、とてもわかりやすくてこれまた感心。

そして、このまま放っておくと、かくかくしかじかで危険なので、
ついては今日手術する。すなわち今から入院の手続きを取る必要がある、との説明あり。

望むところだ!と答えるも、同意者の承認も必要というではないか。
周囲に身寄りもいないので、先生の目の前で北海道の母へ電話確認。

F:「驚かないで聞いてほしい。盲腸になった。今日手術する必要がある。手術・入院に同意してほしい。」

母:「エーーーーッ!!!????  そんなあぁ。
  今日、あんたの寮宛てにクール便届くはずなのにどうするのさ!?混ぜご飯たくさん入れたのに。。」

F:「そんなもんどうでもいいべや!腐ってもいいべや!!(注:北海道弁)。もう切る!」

母:「もったいないしょや~(注:北海道弁)。寮の管理人さんに電話してみるわ」

ということで、家族の同意を得る。


===

早速、手術の準備を行うべく、病棟へ。このあたりもとても段取りが良い。
そりゃ、そのための職業集団だし、人は変われど毎回作業は同じだもの当然か。

しかし、今日は先に同じ虫垂炎手術を控えた患者が二人いるとのことでベッドで待機命令。

結果、4時間、痛みにうなされながら待たされる。まさに、まな板の上の鯉、気分。

途中バタバタと動く看護士さんたち。でも無駄が無い。

そんな中、一番おぼこそうな看護士さんがやってきて、
要領をなかなか得ない説明をしながら、やれやれといった感じで例の剃毛開始。
初めてだったようだが、それなのに雑な仕上がりで、ちょっと苛立つ。

そして今度は優しい中堅看護士さんがやってきて、なぜかオヘソの穴を入念に掃除(?)

もう好きにしてくださいよ。。という頃に、「手術です」。
ということで、ベッドに横たわったままTVドラマさながらにオペ室へ運ばれるのでした。。(続く。。)

盲腸(前編)

ご存じのとおり、先週、盲腸のため緊急入院・手術し、本日無事退院しました。

今まで「毛腸」だと思っていたのに。。(ワナワナ)

そんなバカな自分が盲腸を発症し、回復に至るまでの軌跡を
記念碑的な感覚で書き残しておきます。
かなり長くなるので読まなくても結構です笑


(火曜)
仕事は1年の中でもトップクラスに忙しい時期。
特にこの3日はまさに天王山!と、今日も深夜残業を決め込み、
打ち合わせを終えて執務室に帰ってきた夕方。

カタール出張から帰ってきた先輩のお土産がデスクの上に。
後から聞いたらピスタチオのようでしたが、レモンフレーバーの
ピーナッツってなかなかいける、と思いながら、
企業さんから上がってきた報告書の山との格闘再開。

15分後。。。 お腹に違和感。

1時間後。。。 依然としてお腹痛し。吐き気や、下している感は無いが、腹全体が痛い。。あらら。

1時間半後。。。 打ち合わせ中に、顔が真っ青、と周囲に心配される。
確かに辛いので、促されるまま夜間に開いている近くの救急病院へ。
すでに歩けるような状況ではなく、タクシーで1人移動。

倒れこむようにして緊急外来に到着。5分くらい待たされてからベッドへ。

この時点では吐き気があったせいか、レントゲン、血液検査をするものの
左のピーナッツの話が先生の印象に残ったようで、
「たぶん、ピーナッツアレルギー」とのふんわりとした診断。

要するに初見ではわからんとのこと。

点滴を打ってもらって、横になっていたら少し落ち着いてきた気がしたので、
胃薬とアレルギー止め(今となっては笑)を処方してもらい、終電に間に合うよう電車で帰宅。
これが本当に辛かった。長かった。寒かった。。。

駅に着いたら冷たい雨が降っていたので、
「これはもう、たまらん!」と思い、寮までまたタクシー。
部屋にたどり着いた瞬間、全て乱暴に脱ぎ散らかしてとにかく就寝。

夜中、痛みで何度も起きる。


(水曜)

朝になっても腹全体を覆うようなじわじわした痛みはひかず。
職場の上司に電話で「どうやらピーナッツアレルギーのようだ」と大真面目に告げ、
繁忙期の真っただ中、本当に申し訳ないが休ませてほしいとお願いし、快諾してもらう。

これは死ぬ気で治さねば!と、もらったアレルギー止め(笑)を飲みつつ、寝る、寝る寝る。
しかし痛みが一向にひかないmy腹。。

健康・体力には自信があったので(まあデング熱には罹ったけれども)
自らの免疫力の限界を初めて感じ、これはただ事ではないと戸惑う。

食欲はなかったが、同じ課の先輩達が身を案じてくれて、
おかゆ、ポカリ、みかんゼリーを大量に部屋に届けてくれる。ジーザス。

勢いづいて食べるも、腹に食べ物を入れるとすぐに膨満感を感じる。
さらに食べると腹が圧迫され苦しくなるので、ほどほどにして、また就寝。

夕方から熱が上がり、水を飲むたび変なおくびが出る。苦しい。お腹痛い。。お父さんお母さん。。

ってな感じで、断続的にしか寝られず、朝に。。



(木曜)

痛みを感じ始めてからすでに2日目の朝。

薬(笑)を飲むも、一向に回復せず、さらに痛みが増していく腹。そして腹は全体的にパンパン。

しかし、その痛みは当初は腹全体であったのに対し、この時期には右下腹部に収斂。

薬の効果が全く現れないので、さすがにまずいと思い、早朝に寮から近くの総合病院を検索。

最寄駅の近くでヒット!!が、なんとこの腹が痛いという時に、まさかの「丘の上・・・」

そして何を血迷ったか、この丘の上の病院へタクシーを使わずチャリで特攻。
まーじーでー思ったより、坂が辛かった長かった。

そして病院(伝説)へ。。(続く)
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